サウナに入り、水風呂で締めて、外の風に吹かれる。頭が空っぽになって、体がまっさらにリセットされた、あの状態。そこで口にする一口目の、なんと旨いことか。冷たい飲み物が喉を滑り落ちていく、その一瞬。温かい汁物が、体の芯にじんとしみわたる、その瞬間。サウナのあとの食事、いわゆる「サ飯(サめし)」は、ただの食事ではありません。一日でいちばん、五感が澄みきった時間にいただく、最高のごほうびです。
なぜ、あんなに旨く感じるのか
不思議なくらい、サウナのあとの食事は旨い。それも、いつも食べているはずのものが、まるで別のごちそうのように感じられる。理由は、ひとつではありません。いくつもの理由が、あの一皿の上で、静かに重なり合っているのです。
まず、体がからっぽです。たっぷり汗をかき、水分を失った体は、飲み物のひと口を、乾いた砂が水を吸い込むように受け止めます。冷たい一杯が、こんなにもありがたいものだったのかと、しみじみ思う。塩気のあるものが、いつもの何倍も旨く感じるのも、失われた塩分を、体そのものが切実に求めているから。理屈ではなく、細胞が喜んでいる、という感じです。
そして、五感が澄んでいます。温冷交代で自律神経が大きく揺れて整い、頭の中の雑音がすうっと静まって、目の前の一皿に、まっすぐ心が向かう。味も、香りも、温度も、立ちのぼる湯気のかたちまで、いつもよりくっきりと感じられる。スマホも、明日の仕事も、今はどこか遠くにある。ただ、食べている。サウナは、舌までリセットしてくれる。そんな気さえします。(このととのう感覚の正体は、「ととのう」とは何かにまとめました。)
最後に、これはがんばった、という深い満足感です。しっかり汗をかいて、冷たい水に思いきって身を沈めて、風に吹かれた。そのあとの一皿は、いわば、自分で自分に贈るごほうび。旨くない、はずがないのです。
世の"サ飯"、いろいろ
サウナ好きが愛してやまないサ飯には、いくつもの定番があります。オロナミンCとポカリスエットを合わせた、甘酸っぱい「オロポ」。よく冷えた瓶の珈琲牛乳や、フルーツ牛乳。塩気のきいたラーメン、スパイスの立ったカレー、脂ののった焼き魚。どれも、汗をかいてからっぽになった体に、すうっとしみこんでいくものばかりです。
けれど、これが正解、という決まりはありません。キンと冷えた地ビールの最初のひと口でも、あたたかいお味噌汁でも、握りたてのおにぎりひとつでも。その日のあなたの体が、いちばん求めるもの。それが、その日のサ飯の、たったひとつの正解です。決まりがない。そこがまた、いいのです。
自宅サウナなら、サ飯はもっと自由になる
ここからが、私たちがいちばん伝えたいところです。
サウナ施設で味わうサ飯も、もちろん最高です。でも、もし自宅にサウナがあれば、この幸せは、まるごと自由になります。誰にも気兼ねなく、好きな時間にととのって、そのまま、自分の台所へ。冷蔵庫を開けて取り出した一杯を、湯気の立つ縁側で。岩手の旬の野菜や、地の魚を、いちばんおいしい温度で。家族と囲む食卓に、"ととのった体"のまま、すとんと着く。この贅沢は、家にサウナがある人だけに許された、特別な時間です。
しかも、時計を気にしなくていい。締めのラーメンを我慢することも、終電の時間に追われることもない。整って、食べて、満たされて、そのまま眠りに落ちてしまってもいい。自宅サウナのサ飯は、一日の終わりの、いちばん幸せなひととき。想像してみてください。今夜も、明日も、その次の日も、それが当たり前にある暮らしを。(自宅サウナのはじめ方は、こちらに。)
火のそばで、食べる
私たちD'STYLEは、サウナも、薪ストーブも扱っています。だからこそ、思うのです。整った体で、薪ストーブの火のそばに腰をおろし、その天板でことこと煮込んだシチューを、ひと匙すくう。パチパチと薪のはぜる音を聞きながら、旨いものを食べる。これ以上の幸せが、はたしてあるだろうかと。汗を流し、火にあたり、旨いものを食べて、深く眠る。派手なことは、何ひとつありません。けれど、この静かな繰り返しこそが、人生をまるごと豊かにしてくれる。私たちは、本気でそう思っています。
その一皿のために
サ飯は、サウナという時間の、いちばん最後の、そしていちばん幸せな一章です。その一皿を、いつでも、誰にも邪魔されず、心ゆくまで味わえる暮らし。岩手・盛岡のD'STYLEは、そのための本物のサウナづくりを、お手伝いしています。次の水風呂のあとの、あの一杯を思い浮かべながら。あなたの、サウナのある暮らしを、一緒に考えていきましょう。



